不登校のお子さまの支援をする中で、我々は多くの不登校生の心情にふれます。
その中で非常に心苦しく思うのが、不登校の子どもたちの心の傷と精神的疲労の深さです。
学校を休んで自宅にこもることでそれが癒されればよいのですが、決してそうではなく、むしろ心理状態は悪化することが多くなります。なかなか周囲には理解しづらい不登校生の心理状態は、どのようになっているのでしょうか。
不登校生の心理状態は、一言で言えば、二重の心の傷や疲労を抱えている状態です。
不登校のきっかけになったできごとで心が傷ついている
一つ目は、不登校になったきっかけです。
「純粋に家にいたり外で遊ぶほうが楽しいから学校をさぼる」というごく少数の子どもをのぞき、子どもが学校に行かなくなるのは、①何か心が傷つくできごとが起きてしまった、②精神的な疲労が積み重なった、というきっかけがあります。
①の心が傷つくできごととは、「自分は本当に悪くないのに先生に激しく叱責された」、「たくさんの人の前で友だちにバカにされた」というようなイメージです。
②の精神的な疲労が積み重なったとは、「転校してなかなか友だちができない日々が続いた」、「中学の新しい環境になじめなかった」というようなイメージです。
「ある日から突然友だちが無視しはじめ、耐え切れなくなった」といった①と②の間のような場合もあるので、この二つは明確に異なるわけではありませんが、いずれにせよ、こういった原因で、子どもは不登校の始まりの段階から心の傷や疲れを抱えています。
不登校という自分の状態に心が疲れていく
二つ目は、学校に行けなくなったという自分自身に対する否定的な気持ちです。
部屋にこもったままの子どももいれば、ゲームをしたり外に遊びに行ったりする子どももいます。
ただ、どう過ごしていたとしても、「本来ならば学校に行かないといけない」という”規範意識”と「自分は学校を休んでいる」という”罪悪感”が心から消えることはなく、まわりには元気そうに見えたとしても、日々傷を深め、疲れを増しているのです。
なぜ、このようになってしまうのでしょうか。
それは、人間には、”当たり前”のことができなくなった時にそのことに対して意識過剰になってしまうからです。
「毎日学校に行き、卒業し、就職し、毎日働きに出る」 -こうしたことを私たちは”当たり前”だと思っています。
実際に自分がその年になるまではもちろん意識しませんし、自分が対象年齢を迎えても、それは毎日の習慣という当然のことなので特に意識しません。プレッシャーなんてもちろん感じません。
ところが、いざできなくなると、「そうしなければならないもの」という規範として意識され、必死になってしまいます。
女性であれば、いざ30歳近くなって独身のままだと、まわりが気にしていなくても本人が結婚を過剰に意識してしまい、男性とのつきあいに踏み切れないという悪循環にはまってしまうことがあります。
寝ることが当たり前だと誰もが思っているがゆえに、不眠症になった人は、眠ろうと意識しすぎてかえって寝つけなくなるのです。
同じように、不登校の子どもも学校に行くことに対して意識過剰になり、ますますプレッシャーを感じ、行こうと思っても行くことができない。行けたとしても異常に疲れてしまい、翌日からまたいけなくなる。という悪循環にはまってしまうのです。
不登校生の親に求められる適切な対応①
不登校になったきっかけと、学校に行けないことに対する意識過剰。この二つによる二重の苦しみが理解できれば、自然と親としてどういう風に対応すればよいか見えてくるはずです。
似たような思いをした経験を思い出せば、自然と子どもの立場に近づくことができ、適切な対応も見えてくるはずです。
不登校になったきっかけは、詳しくわからなくても、何か自信を失うできごとには違いありません。
大人でも、「職場になじめない、上司に怒られた、仕事でミスをした」、「夫婦でケンカをした、好きな異性にふられた、親とケンカをした」 -このような時があるはずです。
そんな時、夫や友人にどう対応してほしいですか?
すぐに「こうしたほうがいい」と解決策を提示されたり、「大丈夫だよ」と簡単に励まされると、気持ちをわかってくれてないと感じますよね。それよりも、「私はあなたが好き」という好意を伝えてもらったり、良いところを教えてくれて肯定してもらえたり、「今度●●に行こう」と遊びに連れて行ってくれると、うれしいですよね。
思春期なので、グチを聞いてほしいよりも詳しく話したがらない傾向が強いのは、大人との違いではありますが、それ以外の上記のような心情は同じです。
不登校生の親に求められる適切な対応②
学校に行けないことに対する意識過剰については、どうでしょうか。
私は、意識過剰をおさえるために、学校に行かなくていいよというのは60点ぐらいの対応だと思います。
理由は二つあります。
一つは、「学校は行かなくていい=行く意味がない」と子どもが勘違いすることがあるからです。子どもは、自分に都合のいいように大人の言葉を解釈し、使ってしまうことがあるんです。。
もう一つは、行かなくていいというと逆に意識してしまうからです。例えば、にきびや白髪といった見た目の問題がわかりやすいですが、気にしないでおこうと意識することで、余計意識してしまうのが人間の心理です。
だから、「学校に行かなくていいよ」というのではなく、「学校に行っても行かなくてもどちらでも大丈夫」というのが良いのです。
学校に行くか行かないかはどちらでも大丈夫、それによってあなたの価値が変わりはしない。そのような親の気持ちがあれば、きっと子どもは安心できるはずです。
最後に
私の尊敬する不登校支援家の丸山康彦さんは、不登校生の支援は、「病人」への対応のようにするのではなく、「妊婦」への対応と同じようにすることが重要だと言っています。
病気とは、何か悪い部分があり、それを元に戻るように治すこと望ましいゴールです。不登校生におきかえたら、「それまで歩んでいた道から外れたから、元の道に戻るようにする」ということです。
それに対して妊娠とは、心身の安定と安全に配慮して生活し、無事出産することがゴールです。不登校生におきかえたら、「それまでに歩んでいた道の状態から変わったので、配慮してゆっくり歩く必要がある」ということです。また、病気と違ってネガティブなものではなく、その先にはまた新しい自分があるというイメージです。
治療でも矯正でもなく、必要なのは自然な配慮。
丸山さんのメッセージには、そんな意味がこめられています。
好意を伝え、良いところを伝えて肯定する。学校に行っても行かなくてもどちらでも大丈夫と伝える。そんな自然な配慮を継続的に意識してみてください。