本日は学生時代に不登校を経験し、それを乗り越え現在は、社会で活躍されている先輩の体験談を紹介させて頂きたいと思います。
先輩プロフィール
【名前】並川智弘
【不登校の期間】中学2年の夏から卒業まで、高校1年の秋以降
中学校で不登校になってしまう
ある日突然糸が切れて不登校に
私は、今は一般社団法人で元気に働いていますが、中学・高校ともに長期間学校に通っていない筋金入りの不登校経験者です。
中学では2年生の夏前まで通っていたのですが、ある日突然学校に行けなくなり、卒業式までずっと不登校でした。理由はわかりやすい明確なきっかけがあったわけではありません。学校という環境(特に自分の通っていた学校)が自分には合わず、疲れがたまり続け、張りつめた糸が切れてしまったんです。最初に休んだ日のことは今でも覚えていて、どうしても体が動きませんでした。
なぜ、疲れてしまったかというと、僕の通っていた中学校は進学校で、僕はまわりよりも勉強で劣っていることを強く感じていました。それで、成績がダメならスポーツでと思い、中学2年から部活動に入ったものの練習についていくのがやっとで、どの分野でもまわりに認められませんでした。そうした心身の疲れから、不登校になりました。
不登校中はオンラインゲームに没頭
不登校中は毎日PCでオンラインゲームに没頭し、見かねた両親と何度も激しく衝突しました。父親はゲームがすべての原因だと考えて、ある日激昂してキーボードをはさみで切ってしまいました。自分の気持ちや状態を親に受け入れてもらえないのは、本当につらかったです。
高校で再起を目指すも不登校に
不登校と退学
中学校では不登校だった私も、環境がリセットされれば今の状態を抜け出せると思って、全日制の私立高校を受験しました。しかし、「全員が同じ枠組みに当てはめられる」、「固定された集団の中で過ごす」といったことがどうしても苦手だった私は、夏休み明けからまた不登校になってしまいました。そして高校2年生の終わりに、留年するか退学するかの選択を迫られ、退学しました。
ただ、担任の先生がすごく良い先生で何かと気にかけてくれる方で、その先生に高校卒業認定試験(昔の大検)のことを教えてもらいました。また、自分は高校1年生の単位はそろっていたので、高認試験は3科目だけでいいことも教えてもらいました。
自分を信じてくれた予備校の先生
長年の不登校によってかなり勉強が遅れていた私ですが、臨床心理士になりたいという気持ちと、なんとか親や周囲を見返して認められたいという想いから、慶應大学の文学部に行って心理学を専攻しようと考えました。
その時、不登校だった私のことなど誰も認めてくれなかったのですが、予備校の担任の先生だけが「並川なら絶対大丈夫だから」とすごく信じてくれました。成績が伸びると自分のことのように喜んでくれ、うまくいかない日も「大丈夫」と明るく励ましてくれる先生に、なんとか喜んでもらいたくてがんばりました。
一人でも自分のことを無条件に受け入れて信頼してくれる人がいることの心強さをこの時に知りました。
はじめて居心地の良さを感じた大学という居場所
不登校生の中には、「自分なんかが大学に行けるわけないし行っても仕方がない」と思っている人もいるかもしれません。でも、私は大学という場所の居心地がとても良く、中学校以来はじめて心が本当に安定しました。
なぜなら、大学ではクラスという枠組みがないに等しく、自分と気の合う人とのネットワークを作り、自分と合ったコミュニティを選べるからです。「固定された集団の中で決まった評価軸でしか評価されない」というようなことはなく、本当に居心地がよかったです。
また、私の通ったキャンパスでは、「人は自分と違ってまず当たり前」、「違うことを肯定的に捉えよう」、「行動する人をバカにしない」といった風土があり、まわりが自分をどんどん受け入れてくれるので、とても自分らしくいられました。
最後に
不登校に悩んでいる人は今とてもつらいと思いますが、あなたのことを信じてくれる人といつか必ず出会うことができます。あなたのことを受け入れてくれる場所がきっと見つかるはずです。そして、私の経験では、大学だとそれが見つけやすいような気がしました。
何か自分の志すものや興味のあることを見つけて進めば、そこで、自分にとって最高の居場所が見つかると思います。焦らずに、何度失敗を繰り返してもかまわないので、「これかな」と思う自分の道を少しずつ進んでみてください。